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魅力 Charm

ニュー銀水の歩み

堂ヶ島店のイラスト

  • 過去の外観
  • 過去のロビー
昭和20年 銀水荘創業者、故加藤博康が「金鵄館」の経営に携わる
昭和30年 温泉のボーリングに成功し、「金鵄館」が稲取で第1号の温泉旅館となる
昭和32年 温泉旅館「銀水荘」開業(木造2階建、13室、60人収容)
昭和36年 伊豆急行開業
昭和37年 敷地内での専用源泉の掘削に成功、自家源泉の温泉を提供する
昭和40年 株式会社ホテル銀水荘に組織変更
昭和48年 西伊豆堂ヶ島温泉に「堂ヶ島銀水荘(現堂ヶ島ニュー銀水)」開業
昭和53年 伊豆大島近海地震が発生
昭和55年 「堂ヶ島銀水荘」が昭和54年度「プロが選ぶホテル・旅館100選」の料理部門で第1位に選ばれる
(56年1位、57年2位)
昭和58年 「稲銀水荘」近代化改装終了(地上10階建、119室、640人収容)
昭和59年 「稲取銀水荘」が昭和58年度「プロが選ぶホテル・旅館100選」のおもてなし部門で第2位に選ばれる
昭和60年 「稲取銀水荘」が昭和59年度「プロが選ぶホテル・旅館100選」のおもてなし部門で第1位に選ばれる
(61年2位、62年3位、63年~平成7年まで2位)

空撮

平成8年 「堂ヶ島銀水荘」の近代化改装が終了し、「堂ヶ島ニュー銀水」としてグランドオープン
(地上10階建、123室、682人収容)
平成9年 「稲取銀水荘」が平成8年度「プロが選ぶホテル・旅館100選」のおもてなし部門で第1位に選ばれる
(以降平成22年度まで16年連続第1位)
平成11年 「堂ヶ島ニュー銀水」が第五十回全国植樹祭レセプション会場となり、天皇・皇后両陛下がご宿泊される
平成16年 加藤昌利が社長に就任、故加藤博康が会長に就任する
平成19年 銀水荘として創業50周年を迎える
平成25年 堂ヶ島ニュー銀水 開業40周年
令和元年 加藤晃太が社長に就任、加藤昌利が会長に就任する

銀水荘の前身「金鵄館」

温泉がなかった当時の稲取は半農半漁の漁師町。そのような稲取で銀水荘の前身「金鵄館」は昭和の初め頃より割烹旅館として営業しておりました。

名物「風呂敷カツ丼」
戦後、飲食店などなかった当時は食事は全て旅館で対応しておりました。 ご注文をいただいてから炊飯を始め、作ってすぐのあたたかいうちに配達する。カツがたっぷりと丼からはみ出すほどの「風呂敷カツ丼」はいつしか稲取名物と呼ばれるほどになりました。
薪の代わりにオガクズを利用
燃料はほとんど薪を使用していたその当時、「金鵄館」では経費節減のために製材所のオガクズを使用していました。女将が大きな麻袋いっぱいにオガクズを詰め込み、リヤカーで運ぶ。そのオガクズを乾燥させ、薪のかわりに炊事や風呂焚きに使っていたのです。
念願の温泉の湧出
地元の有志5人で念願の温泉を掘削したところ、念願の温泉が湧出。その温泉を引湯して、温泉旅館「金鵄館」として営業をスタートいたします。 客室も10部屋から15部屋へ増築し、秩父長瀞の石を使った大浴場を作り上げ、お湯がかかると様々な色彩に変化する大浴場(岩風呂)として稲取の名物になりました。
金鵄館のお料理
冷蔵庫がまだ普及していない当時、新鮮な魚料理を提供することは大変な苦労が必要でした。 「金鵄館」では大きな切身のお刺身や、尾頭付の金目鯛をお出ししたり、熱い茶碗蒸し、冷たい水貝、あたたかい揚物など、冷たいものは冷たいうちに、あたたかいものはあたたかいうちにお出ししておりました。今日の銀水荘のお料理をお出しする際の原点が「金鵄館」の時代からありました
  • 昔のお出迎え
  • 過去の大浴場

堂ヶ島銀水荘の開業

伊豆の旅 東も西も銀水荘
伊豆の松島と称される景勝地である西伊豆の堂ヶ島では昭和37年に温泉が湧出しました。余暇時代の到来を考え、景観の素晴らしい堂ヶ島は必ず西伊豆観光の中心になるという想いから昭和48年4月、「稲取銀水荘」の姉妹店「堂ヶ島銀水荘」をオープンいたしました。
(開業直後は堂ヶ島銀水荘、改装後に堂ヶ島ニュー銀水と改名しています)
開業時の苦労
地上7階、100室、500名収容の規模の建物でしたが、自然公園内にある海岸の傾斜地という立地条件のために、雛壇式に建物を建築しています。
また、人の手配や水道水の工面の苦労などがあり、オープン間もない頃、水不足のため稲取店からタンク車で水をピストン輸送したこともありました。
海に沈む夕陽
堂ヶ島の夕陽は本当に素晴らしいものです。
東伊豆は昇る朝陽、西伊豆は沈む夕陽。普段見慣れている社員でさえも感動して泣き出してしまう者もいる程に感動的です。
実は銀水荘の大女将もオープン当初、沈む夕陽を見て涙が止まらなくなったとのエピソードが残っています。

堂ヶ島銀水荘の近代化改装

近代化改装の準備
団体客中心という従来の旅行スタイルからグループや家族などの旅行スタイルの変化が堂ヶ島にも見られるようになりました。そのようなお客様の嗜好の変化に対応すべく、「堂ヶ島銀水荘」の近代化プロジェクトチームを発足させます。日本の観光地にはない開放感と、リゾートが作り出す安らぎを感じることのできる空間。 「堂ヶ島ニュー銀水」ではそんなアメリカのリゾートホテルをイメージしています。
堂ヶ島銀水荘から堂ヶ島ニュー銀水へ
堂ヶ島銀水荘(ニュー銀水)は自然公園法第一種特別地域と伊豆西南海岸文化財保護地域にあります。そのために新築ではなく増改築でも規制の厳しい立地条件の中、工事も施設の半分を解体して半分は営業という変則スタイルで工事をいたしました。おかげさまで、平成8年3月28日にグランドオープンを迎え、地上10階、123室、682名収容のリゾートホテルに変身をいたしました。
  • ロビー・ラウンジ
  • お出迎え

天皇・皇后両陛下をお迎えして

第五十回全国植樹祭レセプション会場となる
平成11年5月29日、第五十回全国植樹祭レセプションが堂ヶ島ニュー銀水で開かれました。両陛下を始め、レセプションに参加されたり、ご宿泊される方はそれぞれ300人以上。準備期間も含め、それはもう大変な出来事でした。
お迎えのための準備
第五十回全国植樹祭レセプション会場にというお話をいただいてから、お迎えの準備として社内委員会をつくり、全社一丸となってその日に向かって奔走いたしました。
こぼれ話ですが、弊社社長、女将を両陛下役にして、お迎えのための猛特訓をしたものです。両陛下が少しでもご不快に思われるようなことがありましたら、伊豆全体への印象にも係わるかもしれません。社員一同、伊豆を代表という心構えで臨んでいました。
心からのおもてなし
ついにレセプション当日がやってまいりました。両陛下を乗せた御料車がホテル前面の駐車スペースに入ってくると、銀水の社員の家族や子供達が一斉に日の丸の小旗を振り、心より歓迎申し上げました。両陛下を無事お迎えすることができましたが、最も頭を悩ませたのは実はお食事のことでした。地のものを主体に旬の食材を使い、全ての料理を一口サイズ、一箸サイズにしてお召し上がりやすいように細心の配慮をしてご提供いたしました。